夫婦は一緒にいるのが当たり前

結婚すると夫婦は一緒に暮らすようになります。

「新婚当初は毎日大好きな人と一緒にいられる!」というときめきもあるでしょうが、時間の経過とともに夫婦は次第に一緒にいるのが当たり前になってきます。

初めて会えた時、デートした時は、それこそ会える事自体に胸踊り、ただの逢瀬さえもときめいたりしていましたが、月日が経つと、むしろ一緒にいる事が日常という感覚になってきます。

ではこの熟練夫婦の方々が持つ「一緒にいるのが当たり前という感覚」とはどんなものなのだろうか。今回はその詳細について解説していきます。

一緒にいるのが当たり前になる状態とは

言わなくてもわかるようになってくる

長い事夫婦生活を営んでおりますと、お互いのいろんな面が出てきます。そのうちになれなれしくなり、言葉も変えわり、態度も変わっていきます。よくいえば、親密度が深まり一緒にいるのが当たり前になったと言うべきなのかもしれません。

そして、言葉が代名詞に変わっていきます。

「あれ」「これ」「それ」「あっち」「こっち」などなど。

夫婦間において、普段の生活の中で別段正式名を言わなくても通じるように訓練されていくんだと思います。何をやるにしても表情だったり、その場の雰囲気で何を言わんとしているのかがわかるようになります。

お互いの特徴がわかってくる

こうして年月が経つにつれ、いろんな事が起こります。家族の病気、親戚との付き合い、お互いの意見の相違、時には取っ組み合いになるかも知れません。そうし生活の中でお互いの性格、趣味、好物、嫌いな物など相手の特徴がわかってきます。

そうなると相手の性格や特徴はもう当たり前。それを受け入れた上でどうしようかという考えをするようになります。

諦めもはいってくる

長い歳月を一緒に過ごし、ともに一緒にいる事が当たり前になってくると皆気づくわけです。

「なおらない部分はなおらないんだ」と。

もう半ば諦めと言うんでしょうか。今まで再三注意をしても聞いてくれないという事がありますと「もういいや」という一種の諦めの境地に達します。

料理をして台所の片付けが出来てないとか。片方の靴下や服を脱ぎっぱなしとか。世の中の熟練夫婦の方々なら、多少なりとも身に覚えがあると思います。

いないと生活ができない状態

一緒にいるのが当たり前の感覚になっていきますと、どちらかがいないと生活が成り立たないという事が起こります。例えば妻が、何かの用事で家を留守にしたりしますと、特に男性は何がどこにあるかさっぱりわからなくなります。全部任せっぱなしにしているからでしょう。

逆に女性の方は、役所関係の手続き・仕事関係・町内会の相談事とか、男性任せになったりします。このように互いがいないと生活できない状態になるのが一緒にいるのが当たり前の感覚です。なんせ一緒でない事は当たり前ではないから、どうせ相手がやってくれるという事で互いに手を抜いてしまうんですね。それは決して悪い事ではありません。

逆に、相手がいなくても全て自分でできるという夫婦はいて当たり前という感覚はむしろ少ないかも知れません。だからこそ、一緒にいるのが当たり前だと思っている夫婦は、「一人になった時は大変だ」と常に思っているものなのです。

心地よいルーティーンができる

勿論、悪い事ばかりではなくいい事も沢山あります。妻が旅行に行って、私の好きなものを買ってきてくれたり、つまみにしても好きな物がテーブルに並びます。逆に夫側も妻が何か困った時には手を差し伸べてあげたりなど。

こういう時はこうするというルールやルーティーンができる事でお互いの生活が心地よく、快適な生活リズムになっていくのです。

まとめ

いかがだったでしょうか。

今回は一緒にいるのが当たり前という状態について述べてきました。

「一緒にいるのが当たり前」という感覚はやはり長い年月一緒にいないと培われていきません。もちろん短い歳月でも相性の良い相手とであれば、結婚してもうまくいきますし、円満な関係を築けるでしょう。

ですが、一緒にいて当たり前、むしろそれが日常という感覚はやはり歳月が大事になってきます。ずっと一緒にいるわけですからなるべく相手とは円満で楽しい毎日にしたいものですよね。

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