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「もののけ姫」あらすじ

スタジオジブリ映画「もののけ姫」のあらすじです。

中世(室町時代の頃)の日本。エミシの村に住む少年アシタカは、村を襲ったタタリ神と呼ばれる化け物を退治して、右腕に死の呪いを受けてしまう。その正体は、何者かに鉄のつぶてを撃ち込まれ、人への憎しみからタタリ神と化した巨大なイノシシの神(ナゴの守)だった。アシタカは呪いのため村を追われ[3]、呪いを絶つためにもイノシシが来た西の地へと旅立つ。

「もののけ姫」感想①:その圧倒的な世界観

「生きる」

非常にシンプルで難解なテーマ。

生きること。それは、ときに他者の犠牲の上にある。それをありありと見せ付けられる作品。主人公のアシタカさえも絶対的に正しい答えを知らないことが物語をより深いものにしている。

「森を荒らすたたら場」。それは森の住人からしてみれば悪そのもの。けれども、たたら場の現状もアシタカは知っている。人間界で売られた娘たちが、唯一拠り所にできる居場所である「たたら場」。そのたたらを人間世界の外的から守るため、生活する米を買うため、鉄をつくる必要がある現実。「たたら」が森を切ることをやめてしまえば、たたらの安全・生活は担保されない。

森とたたらの間に立たされるアシタカ。答えはない。どちらがただしいのかもわからない。ただシンプルにその時を「生きる」。それがよいのだろう。逆にそれしかできない。そういう制約の中で生きているからこそ、この「生きろ」というメッセージを強く印象つける作品。圧倒的な世界観。

「もののけ姫」感想②:ミクロに根付く生命の鼓動

生物学的にも「長い目」で見たら、確かに種というのは自然淘汰される。弱い種、環境に適応できない種が滅び、それを駆逐した種が、地上を支配する。時間的な視点を広く見ればそれは自然なこと。

ただ、実際にそのミクロに着目すると違う。そこに息づく生活、そのありありとした生命に関しては違う。一つ一つに生活があり、守るべきものがある。その不可逆の大きな自然淘汰の流れの中、一つ一つに散っていく命があり、そこに逆行して何か大切なものを守る。

アシタカは「森とたたら場。双方生きる道はないのか」と絶叫するが、実際は難しいだろう。

森に木が戻り、光が差したとして、たたら場が森を切る事業をやめてしまえば、たちまち侍に食われる。また同じことの繰り返し。「たたら場」と「森」の間に常にアシタカは立たされることだろう。

それでも、一つ「生きろ」と言う。この言葉ほど真実はないとアシタカは信じそれを貫く作品。なんとも辛辣で且つ、儚い世界感を有していることだろう。見ているこちらの息がつまる。

「もののけ姫」感想③:意外とあっさりする

ただこの「もののけ姫」。

こう言ってはなんだが見終わった後はなぜかスッキリする。爽快感と言ってもよいだろうか。それはおそらく、圧倒的にも「現実離れしているから」だろう。

「室町時代・森の生物たちが人間と戦争をする」という非現実的な世界の中において、強い象徴的な言葉で「生きろ」という一つのメッセージを伝える。それは、いかにも現実離れしているフィクションであり観客からしたら一種の娯楽だ。「うわ、すごいの見たわ」っていう感想。

実際の生活に影を落とすのだろうか、ワクワク感や多幸感をもたらすだろうか。

いや違う。何もない。何もないからこそ、何かを見終わったようなスッキリ感に似た感覚がただただ残る。非現実的な描写が、逆に、いつの時代にも普遍的に評価され続ける作品たらしめているのであろう。

まとめ

いかがだったでしょうか。

「もののけ姫」の感想・評価について述べてきました。

いつの時代にもこの映画は人々の心を惹きつける普遍性を持っていますね。だからこそ、この「もののけ姫」が私は好きなんです。いつまでも長く「もののけ姫」を楽しむつもりです。

今回はこれでおしまい。また会いましょう。

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