風の谷のナウシカあらすじ

「風の谷のナウシカ」(映画版)のあらすじです。

千年前の「火の七日間」と呼ばれる最終戦争により、巨大産業文明は崩壊し、「腐海(ふかい)」と呼ばれる菌類の森に世界は覆われていた。生き残った人類は、腐海が放つ猛毒と、そこに棲む巨大な虫たちに脅かされていたが、辺境にある「風の谷」は、酸の海から吹く風によって森の毒から守られ、のどかな農耕生活を送っていた。族長の娘であるナウシカは、住民から深く敬愛されており、人が恐れる腐海の虫とも心を通わせる少女だった。

宮崎アニメの特徴とは

宮崎アニメは、その特徴として主人公がその世界を俯瞰している。

「もののけ姫」のアシタカしかり「千と千尋の神隠し」の千尋しかり「紅の豚」のポルコしかり。その世界の常識・既存の対立軸の外側からその内部を見ていて、さらにいえば、その内部の者たちからの承認を受けている

つまり、全体を見ている立場にいるのだが関わる登場人物の一人一人に対して心を砕いているのである。

「アシタカ」は森とたたら場双方の立場を理解しており、「千尋」は湯屋と現実世界双方の世界を知っている。「ポルコ」は空賊も空軍も関係なく男のロマンを追うがその両方の気持ちや立場も理解している。

だからこそ、他のキャラクターとは違った行動や考えが生まれ、それが奇抜な性格の持ち主として、主人公が物語の世界で顕著な存在として見えるのだ。それこそ、宮崎アニメの特徴と言っても良い。

ナウシカの立ち位置について

今回の「風の谷のナウシカ」のナウシカもその世界を俯瞰しているという典型だ。

腐海と人間世界。両方の世界に対して理解がある。だからこそ人間世界の戦争に明け暮れ、腐海の蟲や植物をその戦争の道具として扱う「トルメキア」や「ペジテ」とは違う考えをもっている。ペジテの言い分を話す村長とナウシカの言い争いが完全に噛み合っていないのはそのため。

ナウシカが世界を「蟲や森が世界を守っている」という達観した立場にありそれを必死に訴えるが、目の前の人間間での争いといういわば井の中の蛙であるペジテの人々にはそれは到底理解ができないところにある。もちろんこれは境遇や立場というのもあるだろう。ナウシカがペジテやトルメキアで生まれていたらもちろんこうならなかったであろうし。

ユパや風の谷の民たちは、弱小国ながらこのナウシカの価値観や世界観にある程度の理解を示している。そしてクシャナも最後はその考えを受け入れたシーンがあった。

ナウシカは「腐海と人間」というかなり広義な意味での世界観の中では一歩先をいっている存在。けれども、人間世界ではあくまで小国である風の谷の王女。そういった人間世界ではあまり権力や火力を持たないナウシカが言うからこそ、それがはかなさや切なさを含んだ形の発露になる。ナウシカがトルメキアの王女で、そのトルメキアの王女であるナウシカが腐海と人間のために奔走する存在だったら全く雰囲気が違った作品になっていたことだろう。

あくまで小国の「風の谷のナウシカ」であるからこそ、この作品に流れるなんとも言えない感動的な描写が成立するのだ。

その点、その絶妙な「はかなさ」をナウシカに投影する宮崎駿監督は秀逸と言わざるを得ないだろう。

「いきろ!」に通じるメッセージ

この作品の根幹に流れるテーマでも「生きる」ということ

腐海の一部であるオームに対して「いたわりと友愛」を持つナウシカに対して、オームも「いたわりと友愛」で返している。「腐海と人間」。自分とことなる対立軸に属する存在同士を受け入れ、腐海と人間の関係という大きな枠組みを超えた関係を両者は結んでいる。

このナウシカにおける「他者に対するいたわりと友愛」の精神は他の作品でも受け継がれ続けることになっている。

もしかすると、腐海と人間の関係は今後どんどん悪化していき、腐海と人間の共存はありえないかもしれない。だけど、今ここに生きているこの命に対して、「いたわりと友愛」を持って接する。それはもののけ姫における「生きろ」に通ずるものがある。

何が正しいかわからない。絶対的な正解はわからない。だけど、今この瞬間目の前にいる他者を大事にして懸命に「生きる」。

監督の宮崎駿さんは、この「風の谷のナウシカ」の劇場版が終了した後も、漫画版「風の谷のナウシカ」の連載をずっと続けている(詳細→風の谷のナウシカ漫画版(7巻セット)))。

詳細は割愛するが、漫画版のナウシカの世界において、この世界の対立軸がいくつくところまで行きついたところまで描かれている。

その時も、宮崎駿監督はナウシカに「清浄と汚濁こそ生命。苦しみや悲劇や愚かさは清浄な世界でもなくならない。それは人間の一部だから。だからこそ苦界にあっても喜びや輝きもまたある」と語らせている。

それはあくまで混沌とした何も見えぬ世界にこそ、喜びや悲しみ、オームのようないたわりや友愛が存在しえると語っている。ナウシカは種としての腐海や蟲たちを守りたいわけではない。あくまで、ともに生きる「蟲やオーム」たちと共に共存し、だからこそそこに喜びや悲しみ見出せると。

宮崎駿監督もこのナウシカの連載を終え「もののけ姫」の公開が終わった後に、一度引退宣言をするが、それは一つの物語として伝えきりたいものを吐き出し終わったからだろう。ある種完結したいとえるのかもしれない。

そこからは「千と千尋」「ハウル」と続いていくのだが、一度このナウシカからもののけ姫までの主人公はある種同一の使命を担わされていると言っても良いだろう。

「生きろ」

どんな困難な世界でもそれは正しいと。

一つ混沌とした世界にこそ、この言葉はやはり力強く響くのであろう。

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